石見銀山遺跡とその文化的景観とは、島根県のほとんど中央に点在する14か所の資産からなる世界遺産です。14か所の内訳は、銀山遺跡と鉱山町で9か所、鉱山と港をつなぐ街道で2か所、銀を積み出した港と港町で3か所です。
今回は、この石見銀山遺跡とその文化的景観について、歴史と魅力、そして世界遺産に登録された理由をカンタンにまとめていきます。
★石見銀山遺跡とその文化的景観の歴史と魅力について
世界遺産にも登録されている「石見銀山遺跡とその文化的景観」は、どんな歴史を歩んで、そんな魅力を持っているのでしょうか。
大自然に囲まれた他に類を見ない鉱山の歴史と魅力に迫ります。
・「石見銀山遺跡とその文化的景観」歴史と魅力
石見銀山遺跡は、もともと他に類を見ない鉱山であるとして世界的に評価はされていました。ですが、普遍的な価値を証明することが難しく、不十分であるとして世界遺産への登録は難しいと判断されていました。
そこから、政府や地元民たちの積極的な努力によって石見銀山遺跡を取り巻くさまざまな困難に打ち勝ち、やっとの思いで日本で14番目となる世界遺産に登録されたのです。
石見銀山にある歴史の深い建造物たちは、国と地元民によって守られ、維持するという決死の努力の上で成り立っている遺跡であるということですね。
石見銀山遺跡は、「大森銀山遺跡」として県指定史跡ともなっており、またこの大森は鉱山町だけではなく港町・温泉町として、「重要伝統的建造物群保存地区」としても登録されています。
国と地元民の強い自然環境保護の意識の上で維持され守られてきた石見銀山遺跡。その石見銀山遺跡の持つ大自然の魅力を楽しむことができるのは、これを保護してきた彼らのおかげです。
・「石見銀山遺跡とその文化的景観」の見どころ
石見銀山遺跡は、かつて世界の銀の三分の一を生産していたと言われています。その銀を生産してきた「銀鉱山跡と鉱山町」、今でも地元民の生活の場として栄えている「港と港町」、そしてこれらふたつをつなぐ「街道」が「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構造です。
これらそれぞれすべてにおいて見どころがありますが、個人的なおすすめは石見銀山の坑道のうち、唯一公開されている「龍源寺間歩」です。
その姿は当時のまま残されており、まるでその時代にタイムスリップしたかのような不思議な感覚を味わうことができます。
かなり狭い道で、通れるかどうか不安になるほどですが、それもまたリアリティがあって良いですよ。
ですが、不注意で転んだりけがをしたりしないよう、訪れる際は十分注意してくださいね。観光といえど、動きやすい服装と履きなれた靴で行くことを強くおすすめします。
★石見銀山遺跡とその文化的景観が世界遺産に登録された理由
世界遺産への登録が難しいと言われていた石見銀山遺跡ですが、国と地元民による努力とはいえ、何を評価され、どのような理由で世界遺産に登録されたのでしょうか。
石見銀山遺跡とその文化的景観を保護してきた国と地元民の努力が報われたその理由とは何だったのでしょうか。
それでは、「石見銀山遺跡とその文化的景観」が日本で14つめの世界遺産として登録された理由とその評価についてまとめていきます。
・石見銀山遺跡とその文化的景観が世界遺産に登録された理由とその評価について
石見銀山遺跡から算出された銀が世界的に広く物流を促し広く影響を与えたことが一つの大きな理由として挙げられます。
また、石見銀山には住宅と工場が一体化した建造物が多く残っており、銀の生産から商品化するまでの一連の流れがすべてこの石見銀山遺跡で行われていたことも多大な評価を受けました。
石見銀山の周囲では、自然を壊さないように計画的な森林伐採が行われ、ここにも大自然を保護しようという努力がうかがえます。
のちの時代へと受け継がれていくこの文化を守り、維持しようとする地元民の努力により、石見銀山遺跡とその文化的景観は世界遺産に登録されました。
★まとめ
いかがでしょうか。「石見銀山遺跡とその文化的景観」の世界遺産登録までの道は、人々の多大な努力のおかげであることを知ったうえで訪れてみると、何だか感慨深く感じられます。
古くから国と地元民によって文化と自然が守られ維持されてきた「石見銀山遺跡とその文化的景観」。その美しい風景と時代の流れを、ぜひ実際足を運んで肌で感じてみてくださいね。
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