富岡製糸場という名称は、日本人ならば知らない人はいないと言っても過言ではないほど有名なものです。世界遺産の正式登録名は「富岡製糸場と絹産業遺産群」。
富岡製糸場をはじめとした4つの資産で構成されています。
今回は、富岡製糸場と絹産業遺産群について、特徴や歴史的背景、そして世界遺産に登録された理由についてカンタンにまとめていきます。
★富岡製糸場と絹産業遺産群の特徴や歴史的背景とは
富岡製糸場と絹産業遺産群には、どのような特徴があるのでしょう。そして、富岡製糸場には、どんな歴史があるのでしょうか。
世界遺産に登録された理由を知る前に、まずは富岡製糸場と絹産業遺産群について、少しだけ知識を深めてみましょう。
・富岡製糸場と絹産業遺産群の特徴
富岡製糸場は、木骨煉瓦造という構造で設計されています。これは、日本古来の伝統的な建築方法と西洋の煉瓦造が融合した構造となっており、非常に特徴的な建築方法です。
具体的には、木造の柱と梁を組み立てて、柱の間の部分に煉瓦を使用し、壁を作る構造です。これは、西洋でよくみられる上部の構造物を壁で支える煉瓦造とは異なった建築方法になります。
富岡製糸場は、まさに、日本の伝統的な建築と西洋の建築が融合した特徴的な建造物だというわけです。
・富岡製糸場と絹産業遺産群の歴史的背景
富岡製糸場は、明治5年に明治政府の国策として建造されました。フランスの技術を取り入れた生糸の大量生産で養蚕や製糸にかかるひとつながりの絹産業を大きく発展させました。それは、群馬県域を国内有数の絹産業の地に成長させることにもつながりました。
この画期的な技術は日本全国に広められ、その結果さらに養蚕の技術革新が進みました。そして、原料となるまゆの大量生産が成功したのです。
戦後には、生糸の生産のオートメーション化に成功し、自動操糸機が全国に輸出されるようになります。こうして世界の絹産業を支えてきた産業の近代化へ貢献した近代産業の資産としては、日本初の世界遺産登録になりました。
絹はもともと、紀元前の中国で発明されました。その後、19世紀にはヨーロッパで大量に生産が始まります。このころ開国を行った日本は、産業技術の輸入に努力していました。その結果、1872年に富岡製糸場が建設され、国内中の製糸業が近代化、発展したのです。
20世紀頭には、日本は世界中に安くて質の良い生地を輸出するようになり、高級な繊維だった絹を身近な存在に変えてゆきました。戦後に輸出された自動操糸機は、現在も世界の絹産業を支え続けています。
★富岡製糸場と絹産業遺産群の価値と世界遺産に登録された理由とは
富岡製糸場と絹産業遺産群のカンタンな特徴と歴史を知ったら、次にその価値と世界遺産に登録された理由について掘り下げてみましょう。
富岡製糸場と絹産業遺産群は、どんな価値を認められ、そしてどんな理由で世界遺産に登録されたのでしょうか。
・富岡製糸場と絹産業遺産群が世界遺産に登録された理由とその評価とは
フランスの技術を取り入れた生糸の生産技術が品質の良い絹を大量に生産することを可能にし、そして世界の絹産業の発展に大いに貢献したことが理由に挙げられます。
また、富岡製糸場をはじめとした一通りの絹遺産群が、生糸を大量に生産するための集合体として非常に優れたものであることや、富岡製糸場の建物群が、日本古来からの伝統的な建築方法と西洋の建築方法を融合させた日本特有の建築様式であるとして貴重だということが評価されています。
古くから世界の産業に貢献し、今もなお絹産業を支え続けている富岡製糸場と絹産業遺産群が世界遺産に登録されたのも納得です。
★まとめ
いかがでしたか。「富岡製糸場」、多くの方が学校の歴史の授業で名を聞いたことがあるのではないでしょうか。富岡製糸場は、世界の絹産業に多大な影響を与え、大きく貢献した日本の誇る産業建造物です。
古い建物であるのに、日本の伝統を軸に西洋の建築方法も取り入れたその特徴的な建築構造が当時のまま残され、国の史跡にも指定されているんです!
また、操糸場と東西の繭倉庫も残されており、それは国宝に指定されています。
いずれも日本の誇る貴重な遺産ですよね。
見学や、資産巡りも可能なようですので、ぜひ足を運んで当時の産業の雰囲気や資産の美しさや素晴らしさを肌で感じてみてはいかがでしょうか。
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